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ハッピーフェイスキラーのトラック連続殺人・アンビリバボー【動画】 [実話・事件]

 本エントリーは、本日、5月28日に放送される「奇跡体験!アンビリバボー」のネタバレ記事となるのでご注意を。


 放送内容のメインは「1つのウソが女性の運命の歯車を狂わす事件」「誰もがうらやむ人生の成功者の人生を変えた、ある出会い」だ。前者については映画「ミリオンダラー・アーム」の内容なので、そちらについては映画に任せるとして、ここからは後者の事件”ハッピーフェイスキラー”について取り上げたい。

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"ハッピーフェイスキラー"あらすじ



 あらすじに関しては、文章的におかしなところに訂正を入れつつ、「奇跡体験!アンビリバボー」オフィシャルサイトの引用をさせていただく。

 アメリカ、オレゴン州。23歳の女性の遺体が発見された。


 2週間後、警察に情報提供の電話が入る。電話の主は、ラバーン・パブリナック。彼女の家で働く使用人のジョンが殺人について話しているのを聞いたという。


 そこで警察がジョンの取り調べを行うと、彼は犯行を否認したが、ウソ発見器の結果はウソをついているという結果だった。さらに、彼の自宅から殺害現場に残されたロープと同じモノが発見される。しかし、これらは状況証拠に過ぎず、ジョンを犯人だと確定できないでいた。

 そんな時、ラバーンから再び電話があり、実はラバーンが死体遺棄の手伝いをしたということを克明に話したのだ!これで警察はジョンを逮捕できると思ったが、供述したラバーンも刑務所に入らざるを得ない状況となる。それを彼女に伝えるとラバーンは供述を翻し、彼女は死体遺棄を手伝っておらず、ジョンも殺人に関与していないと言い出した。


 しかし、結局彼女の供述が証拠となりジョンには終身刑、ラバーンには条件付の終身刑がくだされる。


 実はその裁判の前に、とあるトイレの壁に「ターニャ殺しは自分だ」という落書きが発見されていた。その落書きの横にはハッピーフェイス(ニコちゃんマークと似た)のマークが…。警察はイタズラだろうと気にとめていなかったのだが、事件はこの後さらに恐るべき展開を迎えることになる…。


 なぜ、ラバーンはジョンが犯人だと言ったのか。さらに、自ら殺人の手伝いをした証言をした理由は何なのか?果たしてこの事件の背後で何が起こっていたのか?


ラバーンがうそをついた理由



 この事件のあらすじからもわかるとおり、真犯人は「ハッピーフェイス」の落書きをした者だ。


 ラバーン・パブリナックとジョンは、この後無罪が確定し、釈放されることになる。なぜ、罪を犯してもいないのにウソをついたのか。


 ラバーンとジョンは交際関係があったのだが、10年もの間、DVを受け続けてきた。そのDVから逃れたいがためにうそをついたというのが理由だった。


 はじめ、ラバーンは匿名で警察に情報提供をしたのだが、思うように動いてくれない。そこでみずからを名乗った上で証言することにした。何としてもジョンと離れたいがために、うそを重ねていったのだ。


 しかし、自分が捕まることには耐えがたいものがあった。そんな思いから、供述を翻したのである。


 1991年に終身刑が言い渡され、無罪放免となったのは1995年。ウソの代償は決して小さなものではなかった。
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真犯人「ハッピーフェイスキラー」とは



 真犯人はこの男”ハッピーフェイスキーラ”ことキース・ハンター・ジェスパーソン(Keith Hunter Jesperson)である。


jesperson.jpg



 幼少期から父親に虐待を受け、内向的な少年時代を過ごしていたジェスパーソンは、その影響からか動物虐待を繰り返すようになり、友人を殴り続けたり、水中へ引きずり込むなど、少年時代には猟奇的な行動を繰り返した。


 問題行動もおさまったのか、20歳になったジェスパーソンはローズという女性と結婚する。子供にも恵まれ、トラックの運転手として働いた。


jesperson_wedding.jpg



 しかし、14年の後、夫婦関係は破綻する。離婚をすることになった原因は、ローズがジェスパーソンの浮気を疑ったためだとされている。事件が起こった1990年のことだった。


 離婚によってジェスパーソンの中で何かが崩れたのか、彼はここから殺人鬼へと変貌する。


 1990年1月21日、最初のターゲットにされてしまったのが、この事件の被害者、あらすじで「23歳の女性」と表現されるトーニャ・ベネットだった。


 ラバーンとジョンが逮捕された間、警察を挑発するも、ジェスパーソンに捜査の手がのびることはなかった。彼は、その後もトラックドライバーという職業の特性を生かしながら、行く先々で事件を起こしていく。


 同年4月には未遂で警察に捕まるも、釈明が実を結び釈放される。


 1992年には2件、翌1993年にも1件の事件を重ねた。ここで、新聞社に下の画像のようなスマイルマーク入りの手紙を送りつけたことにより「The Happy Face Killer」と呼ばれるようになった。


happy face.jpg



 ハッピーフェイスキラーの犯行はとまらない。米国を移動しながら1994年にまた1人、1995年には3人。


 ようやく警察がジェファーソンにたどり着いたのは、1995年3月30日のことだった。最後の犯行の犠牲者、ジュリー・アン・ウィニンガムがジェファーソンと関係がある人物だったため、ようやく犯人として浮上したのである。


 最初の犯行から実に4年以上の歳月がかかり、犠牲者は8人にのぼった。


 逮捕されたジェファーソンだが、黙秘を続けて一度は釈放されている。その後、二度の自殺未遂を図り、出頭。


 逮捕の数日前には兄に手紙を出し、5年の歳月をかけて8人に手をかけたことを告白していたようだ。一方、逮捕後の供述では160人とも言っているが、それは確認されていない。


 ジェファーソンには終身刑が言い渡され、現在も服役中である。


 後日談だが、ジェファーソンの娘メリッサが父について証言をしている。メリッサが小学生のころ、父の動物虐待を目撃したのだという。


 どうやら結婚生活を営んでいた間も、その狂気はおさまっていなかったらしい。


ハッピーフェイスキラーについて英語のドキュメンタリー映像



出典:murderpedia.org&wikipedia.org

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