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アンビリバボー「千日デパート火災」と「狛江水害」原因と教訓と今後 [実話・事件]

 7月9日の奇跡体験!アンビリバボーは、「国内災害」をテーマに2時間スペシャルとして放送される。


 取り上げる具体的内容は「国内史上最悪と言われたビル火災」と「東京郊外で起こった未曾有の大水害」とのこと。この2点について紹介するとともに、今後についても考えてみたい。
 

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1.国内史上最悪と言われたビル火災「千日デパート火災」とは?


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 現在の大阪市中央区の千日前交差点、ビッグカメラなんば店が建つ場所として有名だが、1972年には「千日デパート」が存在した。


 1階から5階はスーパーマーケットなどの商業施設、6階はゲームコーナー、7階は飲食店、屋上は遊戯施設という構成だった。


火災の発生と原因は?



 昭和47年5月13日、夜22時半ごろに火災は起きる。


 出火場所は、3階の衣料品売り場だ。当時、千日デパートでは改装が行われており、3階では電気の配線工事が行われていた。


 配線工事の過程で出火したのか?そうではない。何と、その工事を担当していた工事担当者が捨てたタバコもしくはマッチが原因とされている。


発見から延焼へ



 火災を発見したのも、工事にたずさわる者だった。知らせを受けた工事監督が火災報知機のボタンを押し、ビルの保安員へ事態が伝わる。


 保安員の指導を受けた工事関係者は、消火器を使用して鎮火を試みた。しかし、既にあたりは煙がたちこめており、出火元を特定するのも容易ではない。


 消化液は、ただただ煙に吸い込まれた。もちろんそれでは効果も上がらない。火はしだいに衣料品へと燃え移り、勢いを増していった。


煙は上階へ・・・7階のキャバレーに悲劇が



 当時、7階の飲食店の一画では、キャバレー「プレイタウン」が営業していた。しかし、プレイタウンの従業員、客は階下で起こったハプニングを知らなかった。保安員による情報の伝達がなかったのだ。


 プレイタウンにいた者は、エレベーターやダクトからもれ出る煙の存在を発見し、ようやく事態の深刻さに気づく。既に出火から20分近くがたっていた。


後手後手の対応と避難誘導ミス・・・そしてパニックへ



 時間が経過してから気づいた最悪の事態。火事は一度起こると被害が一気に加速してしまう。ここは迅速に対応しなければならない。


 ところが、7階にいた者181名のうち、本来の避難経路から避難した者はわずか2名だった。避難誘導は適切に行われなかったのである。


 その場にいた者はパニックになり、一部は窓から15メートル下に飛び降りたことで、頭がい骨骨折などによって死傷。また、とどまるった者も一酸化炭素中毒などで窒息におちいった。


 被害は、負傷者81名、死者数118名に上った。想像するだけでも恐ろしい。日本におけるビル火災史上最悪の惨事である。


千日デパート火災のその後



 大阪府警は、電気工事の責任者を逮捕し、関係者6名を書類送検した。また、ビルの関係者とプレイタウンの関係者4名は起訴され、ビルの管理者、プレイタウンの関係者2名は業務上過失致死罪の判決が下されている。


 また、この事件が、建築基準法・消防法の改正の契機になったとされている。


2.東京郊外で起こった未曾有の大水害「狛江水害」とは?


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 未曽有の大水害とは、1974年9月1日に起こった狛江水害(多摩川水害)のことだ。8月31日、狛江市は台風16号の影響により、激しい雨にみまわれた。


 この降雨によって多摩川の水位が上昇、二ヶ領宿河原堰(にかりょうしゅくがわらぜき)の堤防が決壊し、19戸もの民家が川に流された。


狛江水害(多摩川水害)発生と原因



 台風の影響による降雨で増水した多摩川。本来であれば、激流と化した川の水はスムーズに流さなければならないが、二ヶ領宿河原堰がさえぎる形になったという。これによって多量の水の力がためられ、まず、堰堤(えんてい)の脇の小堤が破壊される。


 狛江市職員や消防署、消防団員などによって土のうを積み上げるなどの対処がなされたが、自然の大きな力にはかなわない。周囲の住民には避難命令が発せられた。


本堤防が決壊、最悪の事態へ



 必死の活動もむなしく、激流は容赦なく本堤防をおそう。洗掘によって徐々に力をそがれた本堤防は、ついに決壊してしまった。濁流は民家が建っていた場所に流れ出し、1軒、2軒、3軒と家屋を飲み込む。最終的には19戸の家が流された。


 その後、水の流れを悪くしていた堰堤を爆破することに。3日間、都合6度目の爆破でようやく破壊に成功。濁流の勢いが逃がされ、民家が建つ区域の水流が弱まった。


 幸いな点をあげるとするならば、死傷者が出なかったことだろうか。


その後・・・国の責任を問う訴訟問題へ



 甘い認識によって構造的な問題を抱えていたことが、水害の直接的原因になっていたことは否定できず、長い裁判の末に人災と判断された。国は住民への賠償を命じられ、住民側の勝訴という形で終わっている。


 多摩川の堤防は、流水をさまたげることのないように、よりよい設備へと改修された。また、この災害を風化させないことを目的に、多摩川には「多摩川決壊の碑」が設置されている。

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まとめ・・・「教訓を今後へ生かす」とは?


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 個人的に、2件の災害の取り上げ方よりも注目したいのは、国内災害をテーマに放映する「奇跡体験!アンビリバボー」が、視聴者に対して、今後への教訓としてどのようなことを問いかけ、啓発するのか?という点だ。


 「千日デパート火災」にしても「狛江水害」にしても、教訓をその後に生かした部分は確かに存在する。しかし、あくまでも「ビル火災」や「水害・堤防」といった、「災害」の中のいちジャンルにとどまっている感が強い。これで十分とは決して言えないだろう。


 防災どころか、昨今の日本はインフラ(道路、トンネル、橋、上下水道、鉄道など)の老朽化が問題になっている。笹子トンネルの天井崩落事故は記憶に新しい。日本のインフラは多くが高度経済成長期(1954年~)につくられ、随分前からメンテナンスが必要になっているにもかかわらず、適切な手入れが行われてこなかったのだから当然だろう。日本は防災以前に生活の基盤すら危ういのだ。


 東日本大震災で、岩手県普代村のエピソード(当時の村長が信念で巨大堤防をつくり、被害を最小限で食いとめた)が有名になった。原子力発電所をめぐる問題で、あれだけ人災がさけばれた。にもかかわらず、防災や生活の基盤にかかわる認識は乏しい。


 その都度最悪の事態を経験せずとも、私たちの過去には教訓がありあまるほど蓄積されている。きっと真剣に向き合ってこなかった者には、国や関係者に対して「人災だ」とさけぶ資格もないだろう。本当の意味で教訓を生かすためにも、私たちは考え、行動しなければならない。


 さて、番組の言及具合はいかに?

<出典>matome.naver.jp、sans-culotte.seesaa.net、geocities.jp

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